「サスティナビリティを主張!」シリーズ 第8弾(高山傑)
英語でいうと「ストン」と腑に落ちる
「サステイナビリティ」や「サステイナブル」という表現。
ずい分と前から使ってきた。
しかし、それは海外であって、国内ではそう簡単に説明ができない。
京都で生まれ育っているが、日常使われる「匙(さじ)加減」という日本語が好きだ。
美味な酒や肴に目がない私は絶妙な味付けを表現するときに使うが、
観光においても「配慮」、「手心」は必要で、
「事情を考慮して通常より優しく扱う」ことがサステイナブルな要素と解釈している。
祇園にある老舗の料理屋を例にとる。
物心ついた時にはすでに両親と通っていた名店、実は母も両親に連れて来られたらしい。
100年も続いた店なら、今でいうサステイナブルな店。
先日この話をすると、
「変わらない味と雰囲気を大切にするお客様に喜ばれるのが一番です。」と言われた。
同じ豆腐でも湿度・気温・水質など変わる要素があるが、
いつも同じ結果(風味)を出すのは並大抵の努力では達成できない。
京都では、その世代で「変わる」ことよりも、「変わらない」ことの方が価値がある。
自分の代で、変化をもたらすことが、さて本当に良いことなのか。
観光も同じ、今までやって来てないことに手を染めつつあるが、
これは日本が望むことなのか、「そもそも」の議論が十分になされてないように思う。
京都や富士山など「オーバーツーリズム」や「観光公害」など入込客数を先行してきた訪日観光による歪みが生じさせたこの社会現象を揶揄して取り上げられているが、
そもそも数がターゲットになっており、地域住民の暮らしや生活と観光インフラを別に考慮する配慮がされて行われてきたようには思えない。
京都の高齢者が満員で路線バスに乗れないのは観光政策を優先させたからではないか。
インバウンドという流行りのキーワードが安易に使われている中、
地方の受け皿整備もまだまだ。観光立国できるには時間がかかりそうだ。
最近、観光庁において持続可能な観光推進本部が設置されたらしい。
大いに観光と暮らしを両立させる「匙加減」に期待したい。
【エコセン理事、アジアエコツーリズムネットワーク会長/高山傑】
(2018年7月11日配信 メルマガ掲載)