「サスティナビリティを主張!」シリーズ 第12弾(長谷川孝一)

「地域資産とサステナブル」

 

初めての土地を訪ねた時には、きまってぶら歩きをする。
それだけでも素敵な小道を見つけ、意外なモニュメントに出くわすからだ。
かつて地域散歩は、地域おこしの第一歩として盛んになり考現学となった。
今やぶらり散歩は、テレビ番組の一ジャンル、ぶらタモリなどは、
博物館学芸員や大学研究者を案内人にして、地域発見が大いに盛り上がっている。
たしかに事実は小説より奇なり、地域史は、これまでの歴史や地理の常識を
超えてより詳しくなり面白くなっている。
こうしている間にも、研究者が地道な調査研究を続けて、新たな知見を積み上げているからだ。

 

私にとってのぶら歩きは、鎌倉の材木座海岸にある和賀江嶋という、
日本最古の遺構、築港のことである。
この場所が、鎌倉時代には鎌倉の海の玄関であったと伝えられているが、
どうも副次的な役割の港、という印象があった。
そう考えて海岸工学研究者と文献調査を始めた。
博物館や古文書簡館を訪ね、文献探しをするのが私の役割である。
はじめて早々に「港」に関係した研究論文や書物がぞろりと出てきた。

 

要旨を追ってみるとみえてきたのは、たしかに港であったけれどその役割は十分ではなく、代わりに、内陸の今は街中になっているあたりが
かつて浅い内海であって、この時代の旅行記に出てくる鎌倉の湊であろうと、
複数の研究者が論証しているではないか。
国の史跡として学術的なお墨付きを頂いたその港は、
嘘ではないけれど本体ではなさそうという新たな見解が浮上した。
このように日々更新され、
これまでの定説を大きく覆す新たな地域史があぶり絵のように浮かび上がる。

 

面白くなり、鎌倉とは何だったのだろうかいとう根っこにふれるべく、
関東平野の古代史にまで興味を広げて読み漁ると、
関東武士団の「一生懸命」に表される郷土愛もしくは精神は、
関東平野を開拓し栄えたはるか古墳時代の大王や
その豪族達の開拓精神と誇りこそがその源にある、
ということがわかり驚いた。

 

エコツーリズムという地域活動のこれまでの経験を思い起こしながら、
未知の驚きの地域史がそれぞれにもきっとあるのだと思った。
同じくサステナブルを考えるときにも、今ある景観や知りうる言い伝え、
特徴ある暮らしは、そもそもこれまでの長い歴史の中での
出来事の結果としてあるのではないか。
そもそもそのこと自体が、地域固有のサステナブルな史実であったのではないかと。
未来に開こうとしている(地域サステナリズム)は、
これまでの地域におけるサステナブルを土台にしてこそものだと
さらに考えてみたりする。

 

友人に伊豆大島で活躍するガイドがいる。
伊豆大島はジオツーリズムの世界的うねりに呼応し、
日本ジオツーリズムに手をあげた島である。
また、さらにその評価委員をされている知人が隣町いて、
同じツーリズムとして何が違うのかを両氏と議論してみた。
ご存知のようにジオとは地球の地史、つまりは地面の歴史である。
この事実と生物環境や人の暮らしはどのように一体となって
その歴史を作り上げたのかを調べ、これを地域資産として残しながら
地域活性化に活かそうという事業であるという。
よくよく聞いてみれば、エコツーリズムとその精神と方法論においては
何も違わないように思えた。
しかしこの新しいツーリズムは、市民と行政と研究者とのパートナーシップに
おいて可能となるらしい。
ここでもその後にわかってきた研究の成果というものが大きくものをいわせているのだ。
この知人は、これまでの言い習わしや言い伝えの裏づけとなり、
あるいはそれを超える事実の数々が、ジオツーリズムをいきいきと
動かすためのエンジンだというのであった。

 

どちらにも共通するこれからのサステナブルへのアプローチ、
地域資産をさらに深堀してみる必要があるのでは、皆さんはどう考えますか。

 

【エコセン世話人 / 一般社団法人地球の楽校 代表理事 長谷川孝一】
(2018年9月5日、9月16日配信 メルマガ掲載)