「サスティナビリティを主張!」シリーズ 第27弾(福井 隆)
ずいぶん前ですが、地元学で有名な結城登美雄氏に教えていただいた話です。
沖縄の北にある共同店でのこと、結城氏がビールを差し入れするためスーパーに買いに行こうとしたら、「だから本土の人はわかっていない」と叱られたそうです。
どのような話かと言うと、地域で支え合うためにつくられた沖縄の共同店、そこには地域住民にとって必要な商品が定価で並んでいる。
みんなの暮らしを豊かにするために作られているのだから、少々高くともここで買うものだよ、と言う話。
明治以降、文明開化に舵を切るまで日本の暮らしをつくってきた生活文化の基軸は「手を入れながら育む」ことでした。
有限の資源を上手く活かし、里山や里海に手を入れ、育み、豊かさを手に入れてきたのが照葉樹林帯の人々の生き方でした。
言い換えると、基軸になる価値のモノサシが貨幣に変わり、お金を中心に暮らしをつくろうとしてきた時代が明治以降の日本なのでしょう。
気がついたら、観光客からお金をいただき経済活性化で地域の持続を目論む動きが盛んです。
もちろん、観光による地域活性化や貨幣経済が悪いわけではありません。
しかし、全てを貨幣価値のモノサシで考え行動することが問題ではないでしょうか。
有限の地球の上で、お金になるのなら全て許される、あるいはここまでなら地球や地域は耐えられるだろうと、お金の価値を基準にしてコントロールする考え方がおかしいと思うのです。
里山では、おいしい山菜やキノコを根こそぎとることはしてこなかった。
金になるならと、全部採ることを先達たちは戒めてきた。
そこには、有限の資源に「手を入れながら」「育み」「いただく」という考え方があったのです。
宮本常一の「旅と観光」に次の言葉がありました。
「自然を愛するというのは自然をたのしむということではなく、それを守り育てることでなければならぬ。昔はそれを信仰によって支えた。」
さて、現代は何で支えることができるのでしょうか。
沖縄の共同店は、人々が生きていくための手段としてつくった施設です。
地域で支え合いながら、少しでも豊かにと、持続可能な暮らしをつくるためにあるのです。
品揃えは、地域の人たちが必要なモノを揃え、みんなで「育んで」来たのです。
この考え方を観光に取り入れられないものでしょうか。
観光は、光を観ると書きます。また、旅は「他の火」と聞きました。
すなわち、他の人たちの「火」すなわち暮らしを観、花鳥風月を愛でる、そして学び、愉しむことがそもそも観光なのです。
持続可能な豊かさを旅人と共に得るため、「手を入れながら」「育む」観光を提唱したいと思います。
結城先生が、共同店でビールを購入することを通じて地域を育み、同時に学び、そして愉しむ旅になったように。
【エコセン理事 / 東京農工大学大学院 客員教授 福井 隆】
(2019年4月17日配信 メルマガ掲載)


