『彩とりどり日本紀行 清明:4月4日(旧歴2月26日)』第17弾(山口久臣)

「清明と私の人生と暮らし」

※清明とは、「清浄明潔」ということばを略したもので、全てのものが清らかで生き生きしているという意味。
言葉通り、さまざまな花が咲き、木々は生命力にあふれ、生き物は元気よく動き回る時期。
また、清明は春の季語でもある。(インターネットより)

山口久臣69歳のこれまでの人生は、日本国内では静岡、関東に8年程暮らし(18~26歳頃)
日本全国を旅しながら仕事も勿論やって来た。
またアジア諸国へも出掛けて行き旅と多彩なプロジェクトを手掛けて来た。
更にアジアとは文化的に対局にある欧州諸国へも出掛け多種多様な自然、文化、歴史等を学ばせてもらって来た。
これまでの人生の中で私の今生(今回の人生)のベースは、九州、熊本にある。
この60数年間は、九州の自然と共にある。

九州の山々から川、森、田園地域、海に至るまで己の心身と共にあると日々、実感している。
四季どの季節も魅力的でいつもわくわくドキドキと楽しみながら生きている。
取り分け、“阿蘇(”あそ“は始まりの大元の意味)”の自然には
仕事につけ私生活につけ公私共に長年、魅了させられて来た。
なので、ことさら、二十四節気:清明と意識することなく四季折々の自然を実感し感動し
心身共に癒やされ続けている。
しかしながら、本稿のテーマである“清明”について、敢えて述べるならば、
正に“清浄明潔”“始まりの時”、“誕生の時”、“輝きの始まりの時”であろう。
今春も“今に感動を覚えている!!”が実感である。

【エコセン理事/(一社)アイ・オー・イー 代表理事 山口久臣】


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