『彩とりどり日本紀行 穀雨:4月19日(旧歴3月11日)』第18弾(久保竜太)

「くさぐさの種つもの」

穀雨。こくう。コクウ。
たくさんの穀草をうるおす恵みの雨が降るころ、なのだそうだ。

日本において、穀物というとき、
いま多くの人がまっさきに思い浮かべるのは、
風景としては田んぼであり、作物としては稲であり、食物としてはコメなのだろう。

しかしながら、古来、日本の穀物はもっと豊穣なる世界をなしていた。

古事記・日本書紀の神語りには、
食の女神の殺害による穀草の誕生についての有名な物語がある。
その食の女神の名は、
古事記ではオオゲツヒメ、日本書紀ではウケモチノカミと記される。

日本書紀にいわく、

故、殺さえし神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、
二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。
故、是に、神産霊日御祖命、玆を取らしめて種を成しき。

古事記にいわく、

是の時に保食神、実に巳に死れり。唯し、其の神の頂に牛馬化為る有り。
顱の上に粟生れり、眉の上に繭生れり。眼の中に稗生れり。
陰に麦及び大小豆生れり。

これらの記述は、土着の食の女神が天津神によって殺害された後、
その屍体から稲を始めとして粟、稗、麦、大豆、小豆などの穀草類が生まれ、
それらの種が天津神によって蒔き増やす営みが始まった場面である。

ここに登場する穀草のうち、稲以外は縄文時代から日本に自生していたものと考えられている。
稲はほんらい、南方起源の外来作物だ。

古の日本に稲とともに渡来した天孫族は、稲作を中心とした国造りをおこなってきた。
その国策は近代まで脈々と続くこととなる。
稲を頂点とする穀物のヒエラルキーが形成され、日本に古くから自生していた穀草類は
“雑穀”としてひと括りにされた。

「日本文化は稲作文化である」
柳田國男によって示されたイデオロギーは、時代の要請だったのかもしれないが、
それによって、豊穣なる穀物の世界は多様性を失った。
それはすなわち豊穣なる縄文文化の排除でもある。

しかしながら、この飽食の時代となり、
日本人はコメも稲作文化も必要としなくなった。

いま私たちが日本の文化を顧りみようとするとき、
稲作以前へ遡行する必要があるのではないか。

なぜならば、日本の深層たる縄文文化を育んだものは、堅果類の採取、狩猟と漁労、
そして粟や稗などの雑穀作だ。

岩手県の東の半分以上を占める北上山地では、今も伝統的な雑穀作が営まれており、稗、粟、大豆、小豆、蕎麦などが栽培されている。
また、ヒエ飯、ソババットウ、豆シットギや、トチ、ナラ、カシワの実を入れた「シダミ飯」や「シダミ餅」など、コメではない穀物を使用した食文化が豊かに伝わっている。

すぐそこには、三内丸山遺跡を代表とする縄文の遺跡が点在している。

北東北の縄文遺跡から出土する遮光器土偶は、その誇張された大きな目が特徴だが、
その目は穀物の種の象徴であり、つまり遮光器土偶は食の女神ではないかとする説もある。
その造形と文様は、たしかに日本書紀と古事記の記述における土着の食の女神を彷彿とさせる。

穀雨。こくう。コクウ。

二十四節気は中国由来のもので、
つまり日本ではヤマト王権以降に定着した暦であろうが、
この春に降る恵みの雨は、
遥か古より縄文の女神をうるおすものであったのだろう。

【エコセン理事/
(一社)サステナビリティ・コーディネーター協会 業務執行理事 久保竜太】


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