田舎暮らしの達人!藤原誉さんに聞いてみよう‼ [第9回:きっかけ編]
「田舎暮らしの達人!藤原誉さんに聞いてみよう‼」へのご質問にお答えします。
田歌舎・藤原誉さんからのアドバイスを参考に持続可能な生活への第一歩を!
藤原誉さんについては こちら
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【第9回:きっかけ編】
少し長めの前置きから。
千葉県の台風被害、今も続く復旧、ほんと大変ですね。
山間部では間伐など手入れの行き届かない杉林などの木々の倒木が電柱、
電線をなぎ倒し復旧を手こずらせたそうですね。
私の暮らす美山でも風雪時の停電はほとんどが杉などの倒木が原因です。
ただ近年では美山の植林は伐齢期に入っていることで、
道側の植林は随分と伐採が進んでいることで、
風雪時の停電の心配も少しましになってきました。
しかしながら近年の気候変動の中で明日は我が身という思いは募るばかり。
田歌舎は5年計画でオフグリッド(電気の独立)を達成しようと目標を立てました。
田歌舎では水と食料と電気以外の住環境については災害時という事態を
想定した上でも当面の自給自足が100%成り立つと思っています。
ですが、最大の弱点はエネルギー。
車や重機を動かす燃料はストックが尽きれば動かせなくなるだろうし、
電気に関しては食材の保存という部分でももちろん、
食肉販売を生業とする田歌舎にとって経済的にも致命的な事態。
燃料はともかく電気だけでも完全に自給自足を完成させることは、
災害に対するとても大きなリスクマネジメントとなります。
現在70枚ほどのソーラーを保有していますが、それらと強力な水利を生かした
水力発電を組み合わせ、相当量の蓄電システムを導入することで
電力を100%独立させることができる。
これによって水、食料、住環境は直接被害を受けない限り失うことはない。
さらに田歌舎は30名収容できる宿泊施設でもあるので、
同じ集落のほとんどの家のインフラ(水道、電気)が崩壊した時には
避難所として開放することができるのでは。
そう考えています。
民設民営の避難所を完成させること。
災いがあった時にこそオフグリッド、エネルギーの自給ということの価値がさらに認知される。
災い転じて福となす。
それもまた地域を変える、世の中を変えるサスティナブルへの確かな足取りとなるでしょう。
前置きが長くなりました。
ですから今回は「きっかけ編」の質問をシンプルにお答えします。
Q.その場所を選んだ理由はなんですか?
南に空が広く日当たりが良いこと、
本流と支流に挟まれつつ洪水の心配のない地形であること、
当然水利が圧倒的に良いこと、
尾根の始まりに位置しており、
土砂災害の心配がほぼないこと。
です。
Q.影響を受けた人物は誰か?
20年以上前、田舎暮らしを始めた頃の60代から70代、80代の親父やお婆。
私の暮らしの技術の原点はこの人たちから引き継いだことが土台となっています。
著名な誰かという個人に強い影響を受ける人はいません。
ですが様々なジャンルで多くの尊敬する先輩であり師匠たちがいて、
様々な技、知恵、情報を勝手に盗ませていただきました。
Q.何がきっかけで自給自足の生活を始めようと思ったのですか?
自分自身にアレルギーがあったことから都会に蔓延する食に対する疑念が育まれたこと。
そのことが浪費社会に対する疑念にも変わり、大学時代の頃のバブルの崩壊や
銀行の破綻などの情勢を見て、経済社会から脱却し、
自給的な暮らしを追求することが間違った生き方ではないと確信した。
ちなみに花粉症、アトピー性皮膚炎などのアレルギーは20代のうちに克服。
視力は0.1から1.2まで回復(その後0.6くらいで安定しましたけど)
そのことは自分の暮らしが正しかったことの確信になったことはいうまでもないですね。
Q.自給自足の生活をはじめてみて、一番大変だったことはなんですか?
申し訳ないですが、根深く記憶しているような辛さは全くありません。
20過ぎの私より自然の中で暮らす体力も技術も知恵もあるお爺たちに囲まれ、
おしゃべりしながらも凄まじいスピードで仕事をこなすお婆たちに囲まれ、
楽しかった記憶しか残っていません。
経営者になってからはそりゃそういう部分の中で色々ありますけどね。(笑)
こんな感じで如何ですか。
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