スペシャルな『旅の話』シリーズ 第20弾!(若林 千賀子)

歴史への「旅」、古道を辿って先人へ思いを寄せる

 

私は現在、栃木県那須町にある「那須平成の森」でインタープリターとして活動しています。
「那須平成の森」は、もともとは那須御用邸の一部でしたが、
平成20年に天皇陛下(現在の上皇陛下)が、「敷地の半分を国民に返したい」
というお気持ちを発せられて、平成23年に日光国立公園の一部として開園しました。
ここは皇室が守ってきた森ということもあり、我々インタープリターは、
来園者に、この森で体験できる生物多様性の一つ一つを丁寧に伝えることを
ミッションとして心をこめて解説業務を行っています。

 

約560ヘクタールある敷地は、標高600mから1400mにかけて広がり、
標高が変わるにつれて植相もかわり、鳥や昆虫などの生きものの相も変わっていきます。
開園して9年たち、年間約5万人の来園者数を迎えています。
我々はインタープリテーション活動以外にも様々な自然環境調査を行っており、
いつも森を歩くことの喜びに飽きることがありません。

 

現在、その一環で敷地内に残る北湯道らしき道跡をたどり、
「北湯道」の全容を明らかにする調査を行っています。
「北湯道」とは、1700年代に大丸温泉から北温泉を経て、
物資輸送や信仰登山等に使われていた「白河道」につながる古道のことです。
また、栃木県北部から福島県にかけては、奥州街道をはじめ、
東北に続く様々な街道がありました。

 

百名山の一つ「茶臼岳」北西には三斗小屋温泉宿跡があり、
ここはかつての会津中街道として、下野の国と会津を結ぶ人々で
たいへんな往来があったそうです。
そして、「北湯道」の歴史を勉強していて発見した史実は、
この道が戊辰戦争のときに新政府軍と旧幕府軍との激戦地の一つであったということです。
約150年前に「那須平成の森」を通って、激しい戦があったとは!
今目の前に広がる美しい森林の下に、兵士たちの屍が埋まっているかもしれないとは!
戊辰戦争の跡は、三斗小屋温泉宿跡をはじめ白河駅周辺、南会津町、
昭和村、柳津町、只見町から新潟にかけて、いたるところに戦死した兵士たちのお墓があり、
当時の戦の激しさを今に伝えています。

 

私は、那須連山を始め福島県南西部で先人たちがどのような気持ちで
この道を歩いていたのかと思いを馳せて歩くとき、
今見えている景色が全く違ったものに見えてくるのです。
この彼方への時間の旅を、今後のインタープリテーションの中で
形にしていきたいと考えています。

 

【エコセン世話人 / 若林環境教育事務所、那須平成の森インタープリター 若林千賀子】
(2020年11月20日配信 メルマガ掲載)