スペシャルな『旅の話』シリーズ 第9弾!(内山 裕紀子)

三重県の熊野古道伊勢路は、伊勢参宮をした人々が熊野を目指して歩いた巡礼道であり、
「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産登録されている。
私が住む三重県尾鷲市を、この熊野古道伊勢路が通っており、
熊野の歴史文化を「熊野学」として研究・検証するとともに、
いにしえの巡礼の旅を追体験するツアーとして活かしている。

 

古い文献をいろいろ見ているなかで、国阿(こくあ)上人という人物の
足跡がなんとなく気になった。
国阿上人とは、南北朝時代(1336-1392)の時衆(時宗)の僧侶であるが、
知名度はほとんど無い。
国阿は熊野を参詣した後、熊野古道伊勢路を歩いて伊勢参宮に向かい、
そして京都に向かっている。
この時代の熊野、伊勢、京都は北朝方と南朝方の戦乱の最中で、
旅をするには大変な危険が伴ったはずだ。
一体何を意図して旅に出たのか。
何を思いながら私の住む町を歩いていったのか。
私は国阿の足跡をたどる旅に出た。

 

国阿上人の足跡をたどって京都へ来た。
東山に国阿ゆかりの正法寺がある。
ごったがえす外国人観光客を横目にタクシーは坂を登っていき、
山に向かってつづく石段の前で止まった。
二寧坂や産寧坂と至近距離にもかかわらず、とても静かな場所だ。
石段を登ると、54代目!だという和尚が待っていてくれた。
ボロボロの寺の前で、
「ここは忘れられています。あなたのように訪ねてくる人はとても珍しい。
かつてはここで札を貰ってみんな伊勢と熊野に行きました。」と言われた。
国阿は「伊勢熊野参詣輩 許永代汚穢」と書かれた札を発行して、
男女貴賤を問わず誰でも差別なく伊勢と熊野を参詣できるように促したそうだ。
この札は当時の人々に熱狂的に受け入れられ、
室町時代の最盛期には敷地8万坪を有するまでになった。
しかし、江戸時代に入ると参宮の大衆化によって札の必要性がなくなり、
敷地を切り売りしていくうちに没落し、忘れられていった。
南北朝の動乱の最中だからこそ人々を救おうと、伊勢と熊野を
誰でも参拝できるように促し、ひいては熊野古道伊勢路を歩く人を
増やした国阿に敬意を表した。
そして忘れられた事績を熊野学に活かすとともに、
正法寺の再興の助けになればと、今年6月6日-7日に国際熊野学会の大会を
正法寺で開催することを決めた。
なんとなく気になって出た旅だったが、これも国阿の導きかもしれない。

 

【エコセン世話人 / くまの体験企画代表 内山 裕紀子】
(2020年1月22日配信 メルマガ掲載)