2008年11月10日午前1時、エコツアー・ドット・ジェイピーで「イトヒロの東京不自然図鑑」の連載をしていたイトヒロこと伊藤博幸さんが、53歳10カ月という短い生涯を終え、永い眠りにつきました。
「イトヒロの東京不自然図鑑」はエコツアー・ドット・ジェイピーがスタートした2003年7月から2004年10月までの全15回の連載でした。連載中に体調を崩し、原稿が思うように書けなくなったという経緯があり、15回目の原稿を受け取ったとき「しばらく休む」と言われたのがつい昨日のことのように思い出されます。エコツアー・ドット・ジェイピーの中では、「好評連載中」の看板をしばらくつけたままにしておいたのですが、再開できないまま今日を迎えてしまったのは非常に口惜しく、さらに私ごとではありますが、その日を最後にイトヒロに会う機会をもたなかったことに悔いても悔やみきれない思いです。イトヒロとは出会ってから30年近い付き合い。風の噂でよくないことは知っていましたが、友は放っておいても死ぬはずはないと過信していました。
「イトヒロの東京不自然図鑑」には元ネタがあり、雑誌「子供の科学」に連載していた「イトヒロのご近所探検隊」がそれでした。誌上の人気投票で毎回上位に入っていたこの記事を、「子供にだけ楽しませておくのはもったいない」とイトヒロも僕も思っており、エコツアー・ドット・ジェイピーのスタート時のコンテンツ不足で困っていた僕に、無償の連載を快く申し出てくれたのでした。
動植物の緻密なイラストは「イトヒロのご近所探検隊」で使用されたものですが、第2回「アブラゼミ」以降のタイトル下にある本人を模したイラストは描き下ろしで、原稿を事務所に持ってきてくれたときに、そのへんにある紙とマジックでさらさらっと描いてくれたものがほとんどだったと記憶しています。着色は編集部が勝手に行いました。
年季を積んだ描き手ともなれば、自分の作品に他人の手が入ることは嫌がるのがふつうですが、そうしたことをおくびにも出さずに許してくれたのがイトヒロでした。校了直前に雑誌のページが空いてしまったとき、文句を言いながら深夜の編集部に駆け付けて、さらさらっと描いてくれるイトヒロを頼りにした編集者も少なくないでしょう。彼が描くイラストと同じように誰からも好かれるのがイトヒロで、彼も頼りにされることのほうが自分のイラストより大事なことだったのかもしれません。
とは思うものの、イトヒロの本質はやはり表現者。描くことはもちろん表現手段にもこだわり、アイデアを具現化することに情熱を持ち続けていました。大事にあたためてきたイメージを、一気に大量のオブジェにして持ってきて、一つひとつの意味を大切なおもちゃを自慢するように喜々としながら語ってくれたときの顔は忘れられません。
僕のほうはといえば、そういうイトヒロを見るとき、とりわけイラストを描いているときの彼を見るのが何より好きでした。見ているだけで「絵を描くのが好き、ものづくりが好き」が伝わってくるからです。幼い子供が絵を描く様、といったらイトヒロに怒られるかもしれませんが、30年近く前もついこの間までも変わらないその姿は、テーブル越しに見ているものにだけしか分からない気持ちよさでした。
「好き」を持続できるのが、本当の芸術家(といったら、イトヒロに一笑されそうですが)。彼が表現したイラストやオブジェや文章は、誰かに楽しんでもらうためのおもちゃだったのでしょう。だからそのおもちゃをもっと楽しむための遊び・・・イラストに色を勝手につけて他人が楽しむことは、イトヒロにとってはむしろうれしい行為だったのかなと、いまになって思ったりします。「また、ダサイ色を付けて」と陰では言っていたはずですが。
直接イトヒロを知らない読者の皆さんにも、遺された作品から彼がいきいきと描く姿を想像していただければ何よりの供養になるかと思います。
イトヒロのご冥福をお祈りします。
2008年11月11日
エコツアー・ドット・ジェイピー編集人 山中俊幸
「イトヒロの東京不自然図鑑」に掲載日の記述がなかったため、修正しました。イトヒロを紹介するコラムにある「連載中」などの表現は当時のままの記載で残しておきます。